人質から王へ~宣太后と魏冄を退け、白起と范雎で天下を削った秦の昭襄王
はじめに──戦国の世の遅咲きの王
戦国時代、七つの国がしのぎを削っていました。秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓。この七雄の中で、最後に天下を取るのは、秦です。その秦を、天下の一歩手前まで押し上げた王が、います。昭襄王嬴稷です。
彼は、十九歳で王になりました。けれど、即位した時、彼は自分の国でさえ、自由に動けませんでした。母が実権を握り、叔父が軍を握っていたからです。それから四十年、彼は耐え機を待ち、そして動きます。
これは、遅咲きの王の物語です。
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一 人質の子
嬴稷は、秦の王族に生まれました。父は恵文王。母は楚から来た、羋八子、後の宣太后です。
けれど彼は、長男ではありませんでした。王位を継ぐ順番は、遠かった。だから彼は、燕に人質として送られます。
「なぜ、私が行かねばならないのですか」
少年は、そう問いました。誰も答えませんでした。人質とは、そういうものです。国が国を信じるための担保。彼は、物ではありません。けれど、物のように扱われました。
燕の都、薊は寒い土地でした。彼はそこで、育ちます。誰も、彼を王にするとは、思っていませんでした。彼自身、思っていませんでした。
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二 王冠が転がり込む
紀元前307年。秦の武王が死にます。鼎を持ち上げて、骨を折って死んだと、伝えられます。王に、世継ぎはありませんでした。
秦の朝廷は、揺れます。誰が、次の王か。公族が争います。そこで登場するのが、魏冄です。武王の異母弟で、宣太后の異父弟。つまり、嬴稷の叔父です。
「稷を呼び戻せ。彼が、王にふさわしい」
魏冄は、そう言いました。けれどそれは、親切からではありません。嬴稷は、燕に長くいた。秦の朝廷に基盤がない。だから操りやすい。魏冄は、そう考えました。
嬴稷は呼び戻され、王になります。昭襄王、十九歳。彼は、知っていました。自分は操り人形だと。けれど彼は、何も言いませんでした。
「よく戻った。稷よ」
母の宣太后が、言います。
「はい母上」
彼は、頭を下げます。その顔に、感情はありませんでした。ただ心の中で、彼は数えていました。いつか、この日を返す日を。
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三 四十年の雌伏
昭襄王の治世の前半は、宣太后と魏冄の時代でした。宣太后は、政治の実権を握り、魏冄は、丞相として軍を動かしました。昭襄王は、玉座に座っていました。けれど、本当の王は、彼ではありませんでした。
この時代、秦は強くなりました。魏冄は有能でした。
伊闕の戦いで、韓と魏の連合軍を破ります。二十四万の兵が死んだと、伝えられます。秦は、中原に食い込みます。
けれど昭襄王は、そこにいませんでした。彼は、玉座に座り、家臣の報告を聞いていました。彼は、何も決めていませんでした。
「王よ、魏の都大梁を攻めますか」
魏冄が、問います。
「叔父上に任せる」
昭襄王は、そう答えます。短い返事です。魏冄は、満足して下がります。昭襄王は、その背を見送ります。
彼は、四十年耐えました。四十年です。人の一生の半分以上です。彼はその間、学び続けました。誰が有能で、誰が裏切り、誰が使えるか。彼は、朝廷の隅々まで、見ていました。
そして彼は、一人の男を見つけます。白起です。
四 白起という刃
白起は、秦の軍人です。彼は、口数が少なく、笑いませんでした。けれど、戦えば必ず勝ちました。彼は、戦の天才でした。
昭襄王は、白起を見ていました。魏冄の下で戦う白起を。彼は思います。この男は、私の刃になると。
伊闕の戦い。鄢郢の戦い。白起は、楚の都、郢を落とします。楚の王は、都を捨てて逃げました。秦は、楚を半減させます。
「白起、よくやった」
昭襄王は言います。
「王のおかげです」
白起は、頭を下げます。昭襄王は、その頭を見ます。彼は思います。この男は、私に従う。魏冄ではなく、私に。彼はそこに、希望を見ました。
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五 范雎という策
紀元前266年。昭襄王は、五十九歳になっていました。彼は、もう待ちません。彼は動きます。
きっかけは范雎です。范雎は、魏から来た策士です。彼は魏で、冤罪に遭い辱めを受け、秦に逃げてきました。彼は、昭襄王に会います。
「王よ、秦には王が四人います」
范雎は言います。
「四人?」
昭襄王は問い返します。
「はい。宣太后。魏冄。涇陽君。高陵君。王は五人目です」
范雎は静かに言います。
昭襄王は黙ります。彼は、知っていました。けれど、誰もそれを口にしませんでした。范雎は、初めて口にしました。
「どうすればいい」
昭襄王は問います。声は低かった。
「王は、王になるべきです。太后を退け、魏冄を退け、君たちを退ける。それだけです」
范雎は答えました。
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六 王ついに王になる
昭襄王は、動きました。彼はまず、魏冄の丞相を解きます。理由は簡単です。「国を私物化した」。
魏冄は、驚きました。彼は、思っていなかった。操り人形が動くとは。
「稷……いや、王よ。私は、秦のために」
「知っている」
昭襄王は、言います。そして付け加えます。
「だから、国に帰れ。それで済む」
魏冄は、陶に去ります。彼は道中で死にます。病死と伝えられます。昭襄王は、その報せを聞いて、黙りました。彼は、何も言いませんでした。
次に彼は、宣太后を退けます。母です。彼の母です。
「稷よ。お前は私を捨てるのか」
宣太后は、問います。
「母上。私は、秦の王です。秦の王は、秦のためになります」
昭襄王は、そう答えました。声は静かでした。けれど、揺れていませんでした。
宣太后は、しばらく息子を見ていました。それから言います。
「そうか。お前はもう、私の子ではない。秦の王だ」
彼女は、そう言って下がりました。紀元前265年、宣太后は亡くなります。昭襄王は、葬儀の間、一言も発しませんでした。誰も、彼の心を知りません。
こうして昭襄王は、六十歳でようやく、本当の王になりました。四十年かかりました。
七 遠交近攻
王になった昭襄王は、范雎を丞相にします。そして、范雎の策を採用します。遠交近攻です。
「遠くの国と交わり、近くの国を攻める」
范雎は言います。
「なぜだ」
昭襄王は問います。
「近くを取れば、それは、秦の土地になります。遠くを取っても、守れません。だからまず、韓と魏。次に趙。そして楚。最後に、斉と燕」
范雎は、地図を指でなぞります。
昭襄王は、うなずきます。彼は、長く待ちました。だから彼は、急ぎませんでした。彼は、一歩ずつ進みます。
八 長平の戦い
紀元前262年。秦と趙が戦います。きっかけは、韓の上党です。上党は、秦に降るはずでした。けれど、上党の太守は、趙に降ります。趙は、上党を受け取ります。
「これは、戦になる」
范雎は、言います。
「なるだろうな」
昭襄王は、答えます。そして、白起を呼びます。
「白起。お前に任せる」
「はい」
白起は答えました。彼は、長平に向かいます。
趙の将軍ははじめ、廉頗でした。廉頗は、守りの名手です。彼は戦わず、壁にこもります。秦は攻めあぐねます。
そこで秦は、策を使います。趙の朝廷に、噂を流します。「廉頗はもう老いた。秦が恐れているのは、趙括だ」。
趙の王は、それを信じます。彼は廉頗を退け、趙括を将軍にします。趙括は、兵法を語る若者です。けれど、実戦は知りません。
白起は、待っていました。趙括が動くのを。趙括は動きます。彼は、秦軍を追います。そして囲まれます。
四十六日。趙の兵は飢えます。趙括は、突撃して死にます。残った兵は降ります。
白起は、問います。
「どうしますか」
昭襄王は答えません。彼は、長く黙りました。そして言います。
「お前に任せる」
白起は、降伏した四十万の兵を埋めます。生き埋めです。これは史実です。秦は、趙の若者を失わせ、趙を立ち直れなくします。
昭襄王はその報せを聞いて、何も言いませんでした。彼はただ、地図を見ていました。秦の地図を。彼の地図は、毎年少しずつ、大きくなっていました。
ここ、重い場面です。読者はここで、昭襄王を嫌いになるかもしれません。けれど、それが王です。王は優しくありません。
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九 最後の賭け
紀元前256年。昭襄王は、七十二歳になっていました。彼は、最後の賭けに出ます。周です。
周はもう、国として力はありませんでした。けれど、名はありました。天下の王は、周の王だと。誰も、そう信じていました。
「周を取る」
昭襄王は言います。
「王よ、それは名を捨てることです」
范雎は言います。
「名はいらぬ。実を取る」
昭襄王は答えました。彼は、周の都、洛邑を攻め、周の赧王を捕らえます。八百年続いた周王朝は、ここで終わります。
天下の名は、消えました。秦の前に立ちはだかるものは、もう何もありませんでした。
ここが、昭襄王の頂点です。彼は、周を滅ぼしました。けれど彼は、統一しませんでした。統一は、後の始皇帝です。昭襄王は、その土台を作りました。
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十、道連れ
紀元前251年。昭襄王は、七十五歳で亡くなります。彼は四十年耐え、それから、十五年動きました。彼の治世は五十六年。秦の王として最長です。
けれど、彼の死は静かでした。誰も、彼を惜しみませんでした。彼は、そういう王でした。優しさを捨て、名を捨て、ただ実を取った王でした。
彼の後、秦は少し揺れます。けれど、彼が作った土台は、残ります。白起が削り、范雎が策し、昭襄王がまとめた土台です。その上に、始皇帝が立ち、天下を取ります。
昭襄王は、天下を取りませんでした。けれど天下は、彼の手の中にありました。彼は、それを知っていたと、思います。
おわりに──遅咲きの王の教え
昭襄王の生涯は、教えます。待つことの強さを。彼は、四十年待ちました。その間彼は、弱い王と思われていました。けれど彼は、弱くありませんでした。彼はただ、時を選んでいました。
彼は、味方を犠牲にしました。魏冄を母を白起を。けれど彼は、国に貢献しました。秦を、天下の一歩手前まで、押し上げました。
そして彼は、最後道連れにしました。周を。八百年の名を。彼は、一人で名を消しました。
これが、秦の昭襄王です。人質から王へ。遅咲きの王の物語です。



