大金で購入した国の身分は敵の組織に売り渡す事と同義:趙の奸臣郭開

黄金に堕ちた趙——奸臣郭開が売り渡した名将たちの命

戦国時代末期、秦国の統一を阻む最大の壁は趙でした。

趙には、秦の戦神・白起と互角に渡り合った廉頗がおり、匈奴すら震え上がらせた李牧がいました。この二大名将がいる限り、秦はどうしても趙を落とせなかったのです。

ところが紀元前228年、趙はあっけなく滅びます。

なぜか。

正面からでは勝てないと悟った秦は、ある男に目をつけました。趙の宰相・郭開です。秦は黄金を積み、郭開の欲望に火をつけました。そして郭開は、自国の名将たちを次々と讒言で葬っていったのです。

今回は、この「戦国最大級の奸臣」郭開の生涯を、廉頗と李牧の惨劇とともに辿ります。

組織を内部から腐らせる者が、いかに国を滅ぼすのか——。現代にも通じる教訓を、物語形式でお届けします。

⇒白起と三国志!最強将軍、強すぎ、生き埋め理由発掘、王翦史実も解説

はじめに——戦国末期の趙という大国

紀元前3世紀の中国は、七つの国が覇権を競い合う戦国時代の終わりを、迎えようとしていました。

西方の秦は、孝公・恵文王・昭襄王と続く法治の系譜のもと、着実に天下統一への歩みを進めています。これに対し、かつて秦と互角に戦った東方の大国・趙は、いまや風前の灯火でした。

「なぜだ……なぜ、我が趙はここまで弱くなったのか」

邯鄲の宮殿で、趙王遷(幽繆王)は深いため息をつきました。まだ若い王の顔には、疲労の色が濃く浮かんでいます。

「王よ。それは簡単なことでございます」

薄暗い宮殿の片隅から、にたりと笑う男が進み出ました。

宰相・郭開。小太りで、常に油ぎった顔に笑みを貼りつけているこの男こそ、趙の命運を握る影の支配者でした。

第一章 郭開という男——奸臣の誕生

趙の宮廷に潜む影

郭開はもともと、趙の宮廷に仕える一介の官吏に過ぎませんでした。しかし彼には、人並み外れた処世術が備わっていました。

「世の中はな、正しさではなく、誰に取り入るかで決まるのだ」

これは郭開が若き日に、ある老官吏から教わった処世訓でした。彼はこの教えを忠実に守り、趙王遷の寵愛を得ることに成功したのです。

秦の黄金がもたらしたもの

そんな郭開のもとに、ある日、秦からの密使が訪れました。

「郭開殿。これは、我が大王からのほんの心づけでございます」

差し出されたのは、まばゆいばかりの黄金の延べ棒。郭開の小さな目が、さらに細まりました。

「して、わたくしに何をせよと?」

「趙には、廉頗と李牧という二大名将がおります。この両名を、なんとかしていただきたい」

郭開は黄金を撫でながら、ゆったりとうなずきました。

「承知いたしました。必ずや、ご期待に沿いましょう」

こうして趙の内部から、密かにしかし確実に、腐食が始まったのです。

⇒李牧と三国志!最強史実、最後無能、王翦死亡、万里の長城強さも解説

第二章 名将・廉頗を葬った蜜の言葉

趙のバリアと呼ばれた男

廉頗——この名は、戦国時代最強の将軍の一人として、いまも歴史に刻まれています。

秦の戦神・白起と互角に渡り合い、幾度も秦軍を退けた猛将でした。兵士たちは彼を「趙のバリア」と呼び、民衆は彼の名を口にするだけで安堵したと伝えられています。

しかし郭開にとって、廉頗はまことに邪魔な存在でした。

「廉頗がいる限り、秦は趙を攻められない。秦が趙を攻められなければ、私のもとに秦の黄金は届かない……」

郭開は、密使から受け取った黄金の延べ棒を撫でながら、ほくそ笑んだのです。

⇒廉頗と三国志!藺相如関係、最後史実、れんぱ性格、将軍李牧も解説

「老いた将軍」という讒言

ある日のこと、郭開は趙王の側近にこう囁きました。

「廉頗は老いました。もはや戦場に立つこともできぬのに、いつまでも将軍面をしております。若い将が育たぬのは、あの老人のせいですよ」

この言葉はやがて趙王の耳に届き、廉頗は罷免されました。代わりに起用されたのは、経験の浅い楽乗という将軍です。

「なにゆえ、わしを解任するのか!」

怒りに震えた廉頗は楽乗を攻撃し、やむなく魏へと亡命しました。

三度の便所——失われた最後の機会

しかし趙は、秦の圧力に耐えきれず、再び廉頗を呼び戻そうとしました。使者が魏へ派遣されたのです。

郭開は慌てました。廉頗が戻ってきては、これまでの策がすべて水の泡になります。

「なあ、使者殿。これを……」

郭開は、使者にたっぷりの黄金を握らせ、こう耳打ちしました。

「廉頗に会ったら、こう趙王に報告するのだ。『廉頗は老いて、食事のたびに三度も便所に立った』と」

使者は郭開の意を汲み、趙王にその通り報告しました。趙王は嘆きました。

「廉頗も老いたか。もう用いることはできぬ」

こうして趙は、不世出の名将を永遠に失ったのです。

廉頗は、楚国で寂しく生涯を終えたと伝えられています。

⇒郭開!趙滅亡史実、有能司馬尚、かくかい最期、李牧死因、廉頗も解説

第三章 北の守護神李牧への罠

匈奴を震え上がらせた男

李牧——彼は趙の北の国境で、匈奴と戦い続けた将軍でした。

彼の戦術は、まことに独特なものでした。匈奴が攻めてきても、決して打って出ない。城に籠もり、ひたすら守りを固めるのです。

兵士たちは、陰で囁きました。

「李牧将軍は臆病者だ。匈奴を恐れて戦おうとしない」

しかし李牧は、そんな声にまったく動じませんでした。数年ほどの間、彼は一度も匈奴と正面から戦わなかったのです。

そして匈奴が完全に油断しきった頃——。

「全軍、出撃せよ」

李牧は満を持して打って出ました。匈奴の大軍を包囲殲滅し、単于を敗走させたのです。この一戦で匈奴は恐れをなし、その後十年以上、趙の北辺に近づくことすらできませんでした。

その李牧が、秦との決戦のために邯鄲へと呼び戻されたのです。

「秦の王翦が、大軍を率いて迫っておる。李牧よ、趙を救ってくれ」

趙王遷の懇願に、李牧は静かにうなずきました。

「ご安心を。この李牧、命に代えても趙をお守りいたします」

王翦との死闘

李牧は秦の知将・王翦と激突しました。

両者は互角の戦いを繰り広げ、戦線は完全に膠着しました。王翦といえば、のちに楚を滅ぼす秦随一の名将です。その王翦をもってしても、李牧を打ち破ることはできなかったのです。

秦の王嬴政(後の始皇帝)は、焦りました。

「王翦をもってしても、李牧を破れぬか。ならば別の手を使うまで」

秦王嬴政は密使を、ふたたび郭開のもとへ送りました。今度の黄金は、かつてないほどの量でした。

「これで李牧を葬れ」

郭開は黄金の山を前に、目を細めました。

「お安い御用にございます」

⇒王翦と三国志!最強軍かっこいい史実、息子王賁最後、李信評価も解説

第四章 邯鄲に散った最後の守護

またもやの讒言

郭開はまたもや、趙王遷の耳元で囁きました。

「王よ、李牧が秦と内通している証拠がございます」

「なに? 李牧が?」

趙王遷の顔が、恐怖に引きつります。

「はい。王翦と戦っているように見せかけて、実は秦と和睦の密約を結んでおります。やがて邯鄲を、秦に引き渡すつもりなのです」

「で、ではどうすればよいのだ」

「すぐに李牧を解任し、趙葱と顔聚を代わりに立てるのです。これで趙は救われます」

「わ、わかった。すぐにそうせよ」

戦国四大名将の最期

李牧のもとに王の勅使が到着したのは、まさに秦軍と対峙している最中でした。

「李牧将軍、王命である。ただちに軍権を趙葱将軍に引き渡し、邯鄲へ戻られよ」

李牧は勅命を読み終えると、静かに空を見上げました。

「……なるほど。これが趙の末路か」

副将の司馬尚が、食い下がりました。

「将軍! これは郭開の讒言に違いありません! 邯鄲に戻れば殺されます!」

「わかっている」

李牧は苦笑しました。

「だが王命に背けば、私は真に逆賊となる。趙のために戦ってきたこの身が、逆賊の汚名を着るわけにはいかぬ」

「将軍……!」

「司馬尚よ。お前は生き延びろ。そして見届けよ。趙がどのように滅ぶかを」

李牧は軍権を趙葱に引き渡し、邯鄲へ向かいました。

そして彼は、郭開の差し向けた者たちによって、邯鄲への途上で殺害されたのです。

趙最強の守護は、味方の刃によって砕かれました。

⇒遺産を忘れ危険視された名将~中華と異民族の融合で組織弾圧から救う

第五章 趙~滅ぶ

崩れゆく大国

李牧が死んだ。

その知らせを聞いた王翦は、厳粛に言いました。

「これで趙に将はおらぬ。攻め込め」

秦軍は怒涛の勢いで、趙に侵攻しました。李牧に代わって指揮を執った趙葱は、王翦の敵ではありません。趙軍は総崩れとなり、邯鄲はあっけなく陥落したのです。

紀元前228年のことでありました。

趙王遷は捕らえられ、秦へと連行されました。趙の民は泣き崩れ、街には秦の旗が翻りました。

かつて秦と天下を争った大国・趙は、こうして歴史の舞台から姿を消したのです。

⇒古代戦国大将軍戦術違いと地形利益!現代ビジネスリーダーシップ戦略

郭開の末路

では、すべての元凶である郭開はどうなったのか——。

邯鄲が陥落する直前、郭開は自邸の床下に隠していた黄金を掘り起こしていました。秦から受け取った報酬は、もはや彼一人では持ちきれないほどの量です。

「これで私は、秦で悠々自適の暮らしをするのだ」

彼は黄金を馬車に積み込み、咸陽へ向かう旅に出ました。趙の滅亡など、彼にとってはどうでもよいことでした。黄金さえあれば、どこででも生きていける——そう考えていたのです。

しかし、邯鄲から咸陽へ向かう山道で、郭開の一行は盗賊に襲われました。

「ひ、ひいいっ! 助けてくれ! 黄金はやるから命だけは!」

郭開は馬車を捨てて逃げ出しましたが、盗賊たちは容赦なく彼を追い詰めました。

「お前が趙を売った奸臣・郭開だな?」

「ち、違う! 人違いだ!」

「嘘をつくな。その黄金が証拠だ」

盗賊の首領は、にやりと笑いました。

「俺たちはな、李牧将軍の元部下だ。将軍の仇を討つために、ずっとお前を追っていた」

郭開の顔から、血の気が引きました。

「た、頼む! 命だけは! なんでもする!」

「趙を売った報いを受けろ」

盗賊の首領は、郭開の首をはねました。

秦に渡るはずだった黄金は、李牧の元部下たちによって趙の民に分け与えられた、と伝えられています。

終章 歴史が下した裁き

もしも、あのとき——

歴史家・司馬遷の『史記』からは、このように読めるでしょう。

「趙の滅亡は、郭開の讒言による廉頗と李牧の死に始まる」

もし廉頗が趙に留まっていたならば。もし李牧が解任されずに、王翦と戦い続けていたならば。あるいは趙は、秦に抗しえたかもしれません。少なくとも、これほど脆くはなかったはずです。

しかし歴史に「もし」はありません。

現代に通じる教訓

郭開という一人の奸臣の欲望が、大国を内部から腐らせ、名将たちを葬り、そして最後には自らも滅びました。

組織の崩壊は、常に内部から始まる——。

これは戦国時代の故事であると同時に、現代を生きる私たちにも通じる、不変の教訓なのかもしれません。

-古代中国史物語